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余計な

子どもの病気などで突然仕事を休むことがとても嫌だ。

なぜか。職場の人をばたつかせるから。

自分のために余計な仕事を増やしてしまうこと、時間を使わせてしまうことに申し訳なく思うから。幸い、最近はそんな状況になる事がなかった。

 

ところがこの週末、久しぶりに突然休まなくてはいけなくなった。

仕方がないので、メールで連絡を入れる。

しばらくして了解とスマホに表示されている。

心が痛く、ブルーになりながら、書いてあることを全部読むと、ちょっと笑いたくなった。

メールをした相手はとてもまじめで冗談など言う人ではない。

その人が、「これまで大変お世話になっています。今までいただいた恩は一生忘れません。全力で働かせていただきます!」とふざけたことを書いてきた。

心が軽くなる。そして笑える。どんな顔して入力してるんだ?

自分も職場で突然休んだ人がいてもイラっとすることはない方だと思う。

ちょっと心を軽くしてくれるそんな返しができるといいなあと思った。

 

 

若新雄純という人がいる。

冒頭に余計なことをさせてしまうことが嫌だと書いたが、「余計な一言が多く、人から嫌わる。どうしたらいいか」の相談に面白いコメントをしていたので。

 

大学ではコミュニケーションについて教えているが、その肩書があっても余計なひと言はなくならない。

しかし、余計かどうかはなにで決まるのか。

おしゃべりだから、口数が多いから余計という訳ではない。

相手が求めてたこと、欲しかったこと以外の事を言うと「余計」になる。

でも相手が求めてたことしか言わないって…

余計なことを言わない、しないというのは機械みたいではないか。

常に相手がどんなことを望んでいるのか、自分はどんなことをしたら相手は気持ちよくいられるのかをマシーンのように考え続けることはできるのか。

余計なことを減らそうと突き詰めると、人類の滅亡になるのではないか。

地球から見ると人類の存在自体が余計ではないか。

自然を壊したり、戦争をしたり。

地球から見たら、人類みな余計。

余計な中に価値がある。偉い人、偉くない人に分けることはおかしい。と。

 

面白いことを言う人だけど、何だか頷けるところがあり検索をしてみた。

プロデューサー、コミュニケーションについて研究し慶応大学特任教授などをしている。

写真を見ると少し派手な感じに見える人。

あっ、この考え方も余計かもしれない。

 

突然仕事を休むことに余計な・・・と思ってしまったが、こんな考え方もあるようだ。

職場の人、若新雄純さんに救われた日だった。