「自分を扱う」
腑に落ちたような気がする。
自分の身体を自分で扱うということ。
パソコンやスマホを有効に使える方ではない。
文字を少しだけ早く打つことができる。
LINEで連絡を取り合うことができる。
後は・・・そんなに使えない。
部分的に使える(得意)ことと、うまく使えない(不得意)ことがあるということ。
パン焼き器を持っているが、こねる時だけ使い、焼いたことはない。
あえて使っていない機能もある。
身体も同じで、
計算が早い
走るのが速い
体が柔らかい
絵が上手い
ピアノが弾ける
打たれ強い
など、心と体をうまく扱える部分とそうでない部分がある。
言い換えると、短所と長所か!
自分の身体を道具だと思えば、できないことがあっても
仕方ないかぁと思える気がする。
たくさんある機能の中で、使わないで済む機能もあるのかもしれない。
できないこと、失敗したことをくよくよ考えることがあるが、道具に置き換えたら
少し気楽になるかもしれないと思った。
からだの悩み、心の悩み、コミュニケーションの悩みに、
「体育」は応えられるのではないか。(著:為末 大)
と、いう本の数行を読んで感じたこと。